加持顕の日々是新潟

新潟県新発田市在住の加持顕(かじあきら)が、県内の観光・イベント、グルメ的な情報をきまぐれに投稿するブログです。

謎が多い「古四王神社」(新発田市五十公野)

新発田市五十公野の五十公野山と呼ばれる峰々の一つに鎮座する「古四王神社」。

 

謎が多い「古四王神社」(新発田市五十公野)

地元住民の話によると、「謎が多い神社」なんだそうで、色々とネット検索してみると、(私的に)面白そうな話が次々と出て来て、文章をどういう方向でまとめるかしばし悩んだり・・・・。

 

 

謎が多い「古四王神社」(新発田市五十公野)

さて、現在、「古四王神社」のご祀神とされている神様は、五十公野山の峰の一つ「岩井戸山」に鎮座する「石井(いわい)神社」にも、以前祀られていたとされる「大彦命」です。

 

kajiakira.hatenablog.com

 

 

大彦命」は、阿倍(のち安倍)氏の祖とされる古代日本の皇族であり、平安時代には陰陽師として有名な安倍晴明を輩出した家系です。


また、福島県喜多方市に鎮座する「古四王神社」の伝承によると、推古天皇の御代(593〜628年)、聖徳太子が東夷東征する際、戦勝祈願の為、福島県喜多方市秋田県秋田市、そして新潟県新発田市五十公野にそれぞれ「大彦命(大毘古命)」の分霊を勧請したのが始まりなんだとか。

 

そのため、新潟県新発田市五十公野の「古四王神社」、福島県喜多方市慶徳町の「古四王神社」、秋田県秋田市寺内の「古四王神社」の三社を、「古四王」信仰における「日本三社(本朝三古四王)」と呼んでいるんだそうで・・・。

 

謎が多い「古四王神社」(新発田市五十公野)

「古四王神社」の拝殿は、いずれも北方に向けて建てられているそうですが、これは「大彦命」が神話の時代に蝦夷征伐、つまり「北方鎮護」に派遣された事からだと言われているとの事。

 


また、神仏習合の時代は、「北方の守護者」とされる「毘沙門天」を御神体としていたそうで、明治時代の神仏分離令により、「大彦命」のみを祀る神社となった模様。

 

毘沙門天」は、別名「多聞天」。「多聞天」と呼ばれる場合は「持国天」、「増長天」、「広目天」と共に、「四天王」の一尊としてまとめて祀られるそうです。

 

謎が多い「古四王神社」(新発田市五十公野)


まあ、「大彦命」は「北方鎮護」、「毘沙門天」は「北方の守護者」という事で、いずれも「北」に関係する神仏である事から、どちらも拝殿が北方を向いている理由付けになる感じですね・・・。

 


あと、何方か(失念)のブログで拝見した情報からですが・・・。

 

謎が多い「古四王神社」(新発田市五十公野)

独特な注連縄の形から、こちらに祀られる神様は元々、アラハバキ、つまり龍蛇神様の類であった可能性が出てきましたね・・・。

 

 

という事は、かつて蝦夷と呼ばれた地方の土着の神「アラハバキ(荒覇吐)」の信仰が、時代の移り変わりの中で「大彦命」や「毘沙門天」の信仰と融合していったのではないかという推測も出て来る訳で・・・。

 

拝殿が北の方角を向いているのは、遥か北方に鎮座する「アラハバキ(荒覇吐)」の方向を向いていると考える事も出来たり・・・。


現在では偽書と言われる「東日流外三郡誌」を引用した高橋克彦氏の壮大なるSF伝奇小説「竜の棺」のファンである私的には、ワクワクを抑えれてない展開でございますね(笑)。

 

 

ついでに、出雲大社では神々の先導役をお仕えされる御使神として「龍蛇神」が信仰されているそうで。

 

izumooyashiro.or.jp

 

「龍蛇神」は、「大国主大神」さまの御使神であり、「神在月」に出雲大社に向かう八百万の神々が降り立った神籬から、神々を出雲大社にお連れする先導役を担っているとの事。

 

神在月」というと、2022年11月に参拝した、長岡市「宝徳山稲荷大社」の「神幸祭(よまつり)」の話も思い出されますね・・・。

 

kajiakira.hatenablog.com

 

kajiakira.hatenablog.com

 

 

まあ、調べ始めると、あちこちに話が飛ぶ謎の神社「古四王神社」、時間見つけて、もう少し腰を据え調べてみたいと思います。

 

という事で、今回はこれ位にしときます(笑)。