先日、とあるイベントを見学(一部参加)するため、福島県境にある阿賀町の豊実地区へ行ってきました。
縄文関連のイベントだったのですが、この地に残る史跡や土器類などには、以前から興味があったので、そのうち付近の散策をしてみたいと思ってます。
私は何も考えず、津川からJR磐越西線と阿賀野川に並走する国道459号線経由で行きましたが、カーナビで検索すると、国道49号線経由、一旦福島に入ってから福島県道384号線経由で豊実地区に行く事を推奨されるそうです。
国道459号線経由だと通り道に「角神不動滝」と、新潟県の名水「縄文清水」があったりします。
とあるイベントの「待ち時間」があったので、豊実地区へ行く途中に見つけた看板「菱潟全海堂」が指し示す道の先を散策す事に。
広い駐車スペースがある前には「行者清水」がこんこんと湧き出ておりました。
即身仏となられた「全海法師」はここで沐浴し、法行に励んでいたとの事。
こちらは曹洞宗のお寺「観音寺」なんだそうで、その境内奥に「菱潟全海堂」がありました。
「菱潟全海堂」には、「全海法師」の即身仏が祀られるそうで、毎年07月08日にご開帳され、そのお姿を拝見する事が出来る模様。
境内に入り、奥まった場所にあるお堂を拝見しましたが、何とも清々しい雰囲気漂う場所であり、この事からも、江戸時代初期に即身仏となられた「全海法師」の法力が相当なものであった事が伺えます。
ちなみに「全海法師」は江戸時代の初め、慶長7(1602)年にお生まれになったそうで、農業と筏乗りを生業としていたそうですが、身内の不幸が続いた事をきっかけに27歳で出家。
出羽の国・湯殿山で修行を積み、45歳になって故郷に戻ってからは、加持祈祷で地域住民を救う傍ら、阿賀野川の改修に心血を注いだそうです。
「荒板」、「猪の鼻」、「立岩銚子の口」などと名付けられる難所を切り開き、舟筏の運航を容易にした事から、「激流阿賀改修の祖」とも呼ばれている様です。
最晩年には即身仏になるべく断食の行に入り、貞享4(1687)年に端座の姿勢のまま亡くなられたそうです。
この付近は、会津の文化圏だとは思われますが、生前は阿賀野川の改修に文字通り命を懸け、即身仏となる事で死してなお、この地域を守ろうとする思いは、どれほどのものであったか・・・阿賀の奥地には、こういう偉人の史跡も残っているんですね。