会津の柳津町をしばしドライブした後、まだ時間の余裕があったので、福島県会津若松市内にある標高314mの山、飯盛山へ。
飯盛山というと、白虎隊の悲劇が起きた場所であり、今は観光地として賑わっております。
公営の無料駐車場もありますが、入口を見つけるまでが大変という、商売が盛んな地区なんですね。
今回お目当ての「会津さざえ堂(円通三匝堂)」は寛政8年(1796)に建立された六角三層のお堂で、高さは16.5mなんだそうです。
厳島神社の別当寺であった正宗寺の住職、郁堂様が考案した建物であり、お堂を拝観する際、上りと下りですれ違う事のない一方通行構造が「さざえ」を連想することから、
「さざえ堂」と呼ばれていたのだと思われます。
その珍しい木像建築様式から、平成8(1996)年に国重要文化財に指定されたとの事。
さて、徳川幕府の大政奉還により王政復古が成された翌明治(慶応4)元年に起きた「戊辰戦争」の際、新政府に対抗すべく結成された「奥羽越列藩同盟」の一角であった会津藩。
戊辰戦争の最中である1868年08月23日、「戸ノ口原の戦い」で敗れた少年兵、「白虎隊」が自決したのが飯盛山であり、白虎隊十九士の墓などもあったりします。
「会津飯盛山宇賀神堂」は、厳島神社の傍社として建立されたものだそうで、五穀豊穣の神様、宇賀神(白蛇)をお祀りしているそうで、戊辰戦争後に、白虎隊十九士の霊像を合わせて祀る様になったとのこと。
「戸の口堰の洞門」は少年兵。白虎隊が「戸ノ口原の戦い」から撤退する際に利用されたそうです。
「厳島神社」は、南北朝時代の永徳年間(1381~1383年)に創建されたと伝えられる神社。宗像三女神の一柱、水の神である「市杵島姫命」を祀るお社なんだとか。
会津若松市内にある「飯盛山」は20代で亡くなった兄との思い出の地だったので、訪問したのですが・・・。
「会津さざえ堂(円通三匝堂)」、「会津飯盛山宇賀神堂」、「厳島神社」など「白虎隊」関連以外に沢山の見どころがあった事がようやく分かりました。
ただ、小学生時代に訪れた以来なんで、モノクロ写真はあるものの、記憶にはまったくないという(笑)。
柳津町巡りの様子を書いた記事は、こちらからどうぞ。