加持顕の日々是新潟

新潟在住の加持顕(かじあきら)が、日々思いついた事を書き綴ります。

怪異の現場・加治川治水ダム前の「洞穴」を探しに、新発田市赤谷へ

ネットを検索すると、詳細不明ながら「妖怪が出るという噂」という触れ込みで紹介されている「加治川治水ダム前の洞穴」。

どんな妖怪が出てきたのだろう?詳細が知りたいとこです・・・。

 

実は、親戚から聞いた怪異話の1つに「赤谷付近にある洞穴」が舞台の話がありまして。

その場所を、何十年も何処か特定出来ずにいたので今回、真面目に探すことにしました。

 

まずは、新発田市の中心部より県道14号線(新発田津川線)を、内の倉ダム方面に。

 

上赤谷地区の三叉路を、加治川治水ダム方面に曲がり、県道335号(滝谷上赤谷線)を終点の加治川治水ダムまで、ひたすら進みます。

 

県道335号の途中に、旧赤谷鉱山鉄道のスノーシェッドを転用した部分があり、交互通行の信号が設置される最初のトンネル横に、階段がありました・・・。

通行途中、その階段付近から「やな気配」がしたので、帰りに調査することに決定。

 


とりあえず「加治川治水ダム」に到着。

 


管理事務所に顔だして「ダムカード」をいただきました。

 

さて、ここからが今回の本番。まずは、旧赤谷鉱山鉄道のスノーシェッドへ。
トンネル部分の外に車を止め、「やな気配」のした階段付近へ。

 

 

地図上では、加治川発電所の付近になりますね。

 

 階段上がって奥に進むと横穴がありました。

 

しばらく奥を覗いてたら、いきなり何かの音が響き渡ったので、速攻で撤退(笑)。写真は遠くからのみ(怖いんだもの)。

 

 

この場所、ヤバいことは確定したので、不用意に近寄らない事に決定。

 

 

さーて、新たにヤバい場所は見つけましたが、本命の「洞穴」は何処に?

 

何処かに「洞穴」はないかなー、と新発田市街地方面に引き返す途中、ようやく、それらしい「洞穴」を発見。

 


・・・記憶を辿ると、以前にこの「洞穴」見つけてたんですよね。


今まで聞いてた親戚から聞いてた「怪異話」の場所説明とちょっと違う感じだったのでスルーしてましたが、改めて周りを見回すと、特徴に合致した場所はここしかないだろうという結論に達しました(脳内で)。


いろいろ差し障りがあるので、ヤバ目な写真の掲載は控えますが、「妖怪が出る」という噂の「洞穴」を、外からフラッシュ焚いて撮影してみました。

 

 

・・・撮影した何枚かには、気配が感じられる「白いモノ」を写す事が出来ました。

という事で、長年探してた「洞穴」をようやく発見する事が出来ましたとさ。

 

 いやー、すっきりした。

これで、自分の中の赤谷付近「怪異ネタ」情報整理が出来ましたよ。

 

という事で次回からは、赤谷地区にあるかもしれない「おこっへの窟」を、ゆるゆる探してみたいと思います。

 

勝手にリンク掲載しておきますが、ネタ元は下記ブログです。

ただ、私の記載は、原本より、興味深い部分を補足追記してます。

 

blogs.yahoo.co.jp

 

「おこっへの窟」とは、江戸時代に刊行された山崎美成の随筆「世事百談(全4巻)」の「巻3」に収録された話。

 

会津領、新発田領の入合いの山で見つかった「おこっへの窟」。

戸倉村[最後に補足追記]の樵(きこり)7人が窟に入り奥に進むと、「開かない鉄の格子」があり先に進めなかったそうで、窟(洞穴)探検から帰宅すると間もなく3人が発熱し、亡くなったとさ。

 

発熱・死亡した原因は、窟(洞穴)内に蓄積したカビや動物の糞などを不用意に吸ったせいとも考えられるので、不思議さは薄れますが、江戸時代に「開かない鉄の格子」が据えつけられた窟(洞穴)があったという話は、とても興味があります。

 

ブログ記事【あな恐ろしや「おこっへの窟」】には、「新発田郷土誌・第一号(昭和36年発行)/編集・発行:新発田市史編纂委員会」に記載されいる、新発田の赤谷か滝谷の飯豊川(加治川)水系に「おこっへの窟」があるらしいと考え、踏査した方が居たという話も記載されていて、追加調査が必要かな、と思っております。

 

まあ赤谷付近は、私自身の「怪異談」ネタには事欠かない場所なんで、この辺りに不思議スポットがまた一つ増えたところで、さもありなん、と。 

 

ちなみに「おこっへ(おこっぺ)」とは、アイヌ語の「オウコッペ」より転化したもので「川尻の合流した所」の意味だそうです。


なお、参考文献「世事百談(全4巻)」の原本PDFは、「富山大学学術情報リポジトリ」からダウンロード出来ました。ありがとうございます。

 

山崎美成(やまざきよししげ)
世事百談 - 富山大学学術情報リポジトリ

 

ついでに補足追加。

 

「戸倉村」が、かつて新潟の何処にあったか調べてみると、昭和時代に旧・中蒲原郡村松町(現・五泉市)に合併された「十全村」がかつて、「中蒲原郡下戸倉村、上戸倉村」を合併した村であるとの記述がありました。

 

五泉市なんて遠いじゃないかとお思いの貴方、県道14号線(新発田津川線)は、最終的に、会津方面へ向かう国道49号線に繋がる事をお忘れなく。

 

そうすると「おこっへの窟」は地理的には赤谷というより国道49号線付近から、県道14号線(新発田津川線)に沿った何処かにあるのかもしれないなあ・・・・。

 

「川尻の合流した所」という意味では、県道14号線(新発田津川線)に沿って、鮎釣りが盛んらしい「新谷川(あらやがわ)」が流れていますからね。

 

 

江戸時代に「開かない鉄の格子」が据えつけられた窟(洞穴)なんてあるのか?

 

という疑問には、この付近はかつて「三川鉱山(大谷金山)」と呼ばれ、昭和37年(1962年)まで金・銀等が採掘されていた事実を思い出す訳で。

 

例の怪異「黒い森」に関連して、「三川鉱山(大谷金山)」の話が出て来るので、金・銀を密かに採掘していた窟(洞穴)を偶然、樵(きこり)が発見したのかなあ・・・と。

で、以後、そこに近寄らないように鉱山の関係者の手により、「口封じ」されたと解釈する事も可能かと・・・。

 

そういえば、観光資源として一躍脚光を浴びつつある、東蒲原郡阿賀町にある「持倉鉱山跡」なんてとこも、ありましたね・・・どんだけ広範囲になるんだ、探索範囲(笑)。