12月04日(木)、思いがけず長年、場所を特定出来ず気になっていた新発田市(旧加治川村)にある現在は公園として整備される「大天城」の城主、青鬼監人の墓を特定する事が出来たので、お参りしてきました。
![大天城の城主、青鬼監人が埋葬されたと言い伝えられる青鬼崎の大石と三重の石塔[新発田市]](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kajiakira/20251202/20251202135238.jpg)
![大天城の城主、青鬼監人が埋葬されたと言い伝えられる青鬼崎の大石と三重の石塔[新発田市]](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kajiakira/20251202/20251202135141.jpg)
現地の現状はかなり荒れ放題でしたね・・・伝説とはいえ、史跡なんだから新発田市の観光資源の一つとして、新発田市主導で綺麗に整備すれば良いのに・・・と思うんですが。
手前の「案内碑」は、加治川村が設置したもののようですし。
![大天城の城主、青鬼監人が埋葬されたと言い伝えられる青鬼崎の大石と三重の石塔[新発田市]](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kajiakira/20251202/20251202135313.jpg)
案内碑のところに辿り着くまでに、笹藪をこいでいかなければならない状態ではありましたが、ようやく現場に辿り着けたので、よかったです。
![大天城の城主、青鬼監人が埋葬されたと言い伝えられる青鬼崎の大石と三重の石塔[新発田市]](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kajiakira/20251202/20251202135331.jpg)
<以下、ヨタ話>
「大天城」の城主、青鬼監人の墓と思われる場所を確認してたら、丘陵の上の方がやけにザワつきはじめたので何だろう・・・と気になり、後日確認に行ったのですが、地域住民の墓地でした。
まあ、なんで多分、上の方に居た「透けた」皆様が、「青鬼様の墓に何しに来たんだ!」という感じで上から「様子眺め」していたのだと推測(笑)。
写真撮ってる間中、結構騒がしかったので、笹藪を抜けて帰る前に、全ての仏教系宗派に有効と言われる「般若心経」と、「透けてる人」が成仏出来るよう、「地蔵菩薩」の真言を唱えておきました。
因果関係不明ですが、「地蔵菩薩」の真言唱えた直後に、急に肩が軽くなったのは不思議ではありましたね(笑)。
以下、簡単な説明文を付記しときます。
![大天城の城主、青鬼監人が埋葬されたと言い伝えられる青鬼崎の大石と三重の石塔[新発田市]](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kajiakira/20251202/20251202135946.jpg)
大天城公園(新発田市住田)内に整備された展望広場は「大天城」と呼ばれる城址であり、平安末期に加地郷を支配した青鬼堅人の居城であったとの事です。
![大天城の城主、青鬼監人が埋葬されたと言い伝えられる青鬼崎の大石と三重の石塔[新発田市]](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kajiakira/20251202/20251202140512.jpg)
青鬼氏は温情ある支配により住民に慕われていたらしいですが、戦で敗死。
「大天城」の北方400mに位置する青鬼崎に、大石を墓標として埋葬。
鎌倉期には大石の横に高さ2mの三重の石塔が建てられ、「鬼の墓」と呼ばれているそうです。
![大天城の城主、青鬼監人が埋葬されたと言い伝えられる青鬼崎の大石と三重の石塔[新発田市]](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kajiakira/20251202/20251202140542.jpg)
また、青鬼堅人は、新潟の下越地区にいくつか異なる伝説を残す妖術使い、黒鳥兵衛の武将であったという説もあるとの事。