「南無大師遍照金剛」
2023(令和5)は、774(宝亀5)年に現在の香川県で生まれたとされる、弘法大師(空海)ご誕生1250年を祝う行事が、和歌山県伊都郡高野町高野山にある「高野山真言宗 総本山金剛峯寺」や、京都府京都市東山区東瓦町にある「真言宗智山派 総本山智積院」などで、執り行われるそうです。
さて、そんな訳で今回は、私の住む処から至近の集落に鎮座する、「弘法大師」がらみの神社について・・・。
新発田市の茗荷(みょうが)谷集落に鎮座する「石上神社」。
これまで「弘法大師」縁の神社である事を知らず、子供の頃から今まで、まったく注目していなかったんですが、「巨石が境内に祀られる神社」だという事を知り、初めて参拝に伺いました。
参道脇にある地元住民が建立した案内看板を、何気に読んで吃驚(笑)。
境内に祀られる巨石が「弘法大師」に関わるモノである事を知り、俄然、興味が湧いてきました。
「石上神社」は、茗荷谷集落を見下ろせる山の中腹に鎮座しており、茗荷谷集落から、114段の羽黒石で出来た少し急勾配な石段を登った先に、社殿と三体の馬石を拝観する事が出来ます。
掲示された伝承によると、平安時代初期に活躍した真言宗の開祖「弘法大師(空海)」
が関わったとされる三つの馬石が信仰の対象として境内に祀られており、それぞれが「男馬(おとこうま)」、「女馬(おなごうま)」、「子馬(こどもうま)」と呼ばれているそうです。
案内看板の説明によると、1815(文化12年)に刊行された「越後野誌」には、『蒲原郷茗荷谷の山中の堂の傍らに大石あり。岩はだに二寸程の白毛あり。縦一丈、横七尺あり、巨石は二個存す』と記載されているそうです。
ちなみに二寸は「約6cm」、一丈は「約3m」、七尺は「約212cm」です。
案内看板の説明によると、平安時代初期に「弘法大師(空海)」が持ち込んだ「虚空蔵菩薩」を、戦国時代から堂宇を建立し祀っており、江戸時代(1763年)に入り「神明宮」を建立。
さらに江戸時代(1787)には社殿が建立され、「天照大神」、「倉稲魂命」、「大国主命」、「大山祇命」、「熊野大神(伊弉諾尊)」を祀っていたのだとか・・・。
神仏習合の名残か、神社の境内には「狛犬」が居なくて、「石灯篭」のみ据え付けられているというのも、何だか不思議な感じでしたね・・・。
創建当初、「弘法大師(空海)」が持ち込んだ「虚空蔵菩薩」を祀っていた為か、社殿横には「弘法大師(空海)」をかたどったと思われる石像も祀られておりましたね・・・。
境内では、カエルさんや蝶がお出迎えしてくれました・・・(笑)。
「石上神社(新発田市茗荷谷)」は「弘法大師(空海)」が関わっていたりと、中々興味深い神社なので、資料・文献の類を探してみたりとか、もう少し深堀りしてみたいと思います。
☆掲示されていた「石上神社の由来」☆
「弘法大師(空海)」が「虚空蔵菩薩」を持ってきた時、乗ってきた馬が石(馬石)になり、村人が境内に祀ったといわれている。
1541(天文10)年、虚空蔵菩薩を祀る堂宇を建立。
1763(宝暦13)年、神明宮が造られ遷宮。
1787(天明7)年、社殿建立。
明治政府の神仏分離政策により、「福満虚空蔵神社」と改称したが1909(明治42)年、神明宮と虚空蔵の合社が許可されたおり、馬石にちなんで「石加美神社」と改称。
現在は「石上神社」に(名称を)統一。
<補足>
「弘法大師」は、平安時代初期(774-835)に活躍した真言宗の開祖です。
「虚空蔵菩薩」は、智恵・福徳を授ける仏様で、丑寅年生まれの守り本尊なんだそうです。
ちなみに、新発田市周辺で「虚空蔵菩薩」を祀っていて有名なのは、「大満虚空蔵尊(村上市猿沢)」と、「別所虚空蔵尊(五泉市別所)」ですね。
☆掲示されていた「御祀神」☆
◎天照大神[1560(永禄3)年勧請]
◎倉稲魂命
◎大国主命
◎大山祇命[1707(宝永4)年勧請]
◎熊野大神(伊弉諾尊)[1742(寛保2)年勧請]
<補足>
「天照大神」は、八百万の神々の中で、最高位に位置する神様
「倉稲魂命」は、お稲荷さん、つまり伏見稲荷大社の主祭神。
「大国主命」は、出雲大社の御祭神
「大山祇命」は、恵みをもたらす山の神様
「熊野大神(伊弉諾尊)」は、国を産み出した男の神様。
いつも行く出湯温泉「華報寺」の日帰り温泉も「弘法大師」がらみですし、2023年は「弘法大師」関連の寺社を巡る機会が増えるかもしれません・・・。