加持顕の日々是新潟

新潟県新発田市在住の加持顕(かじあきら)が、県内の観光・イベント、グルメ的な情報をきまぐれに投稿するブログです。

世事百談「おこつへの窟」は、新発田市赤谷付近にあるらしい(考察続き)

以前の記事

kajiakira.hatenablog.com


の補足というか、続きです。

 

blogs.yahoo.co.jp

 

上記ブログで言及されている、赤谷地区にあるかもしれない、怪異がおきた「おこっへの窟」に関する資料を、新発田図書館でようやく探し出し、確認してきました。

 

 「おこっへの窟」とは、江戸時代に刊行された山崎美成の随筆「世事百談(全4巻)」の「巻3」に収録された話です。

 

その件を言及してたのが、図書館で探し出した「新発田郷土誌・第一号」。

 

新発田郷土誌・第一号
1962年/昭和36年3月30日発行
編集・発行:新発田市史編纂委員会


簡単に探しだせなかった理由は、目次に書いてない記事だったから(苦笑)。

 

目次にある46ページからの「徒遊譚-世臣譜 分註-/執筆:野口幸司」、最後のページ(52ページ)におまけみたいな感じで、

 

◎(赤谷奇題)『おこつへ』の窟/執筆:鬼木生

という記事が掲載されておりました。


以下、「新発田郷土誌・第一号」に掲載された、「世事百談・巻3」の記事を口語訳したものを、引用します。

 

『おこつへの窟』

越後の国、会津領、新発田領の入合いの山に字名『おこつへ』といえる地あり。

 

文政7年(補足:西暦1824年)の夏の頃、戸倉村(補足:現・五泉市の付近)の樵(きこり)7人いひあわせ、山深く尋ね入りたるに、往来の道より二十五丁(補足:約2.7km)程入りこみ、広きところに凡そ人数三十人ばかりも住むべき程の窟あり。

 

その窟の深さ五十間(補足:約55m)も行きたりと思うところ、打ちひらけ、人の六七十人も住むべきほどの窟あり。

 

いづくより明りさし入るか暗からず、それよりおくのかたは、いくばかりとも、その深さ知りがたし、この所より奥へ行くべき穴の口に鉄の格子ありて、いか程押したりとて開くことなし。

をりから何ともなく物すごくおぼえて、おのおの立ちかへりしとかや、その七人のうち三人は、かへると其のまま発熱して、やがて身まかりしといへり。

こは、過しころ友人柳庵のはなしなり

以上、引用ここまで。

 

まず最初に「会津領」と「新発田領」の境目は、現在のどの辺にあたるのか、という話ですが、「会津街道」の情報を調べると分かってきます。

 

会津街道」上にある、現在の新発田市赤谷地区は、かつて「会津藩の北端」であり、会津藩の関所が置かれた、宿場町(赤谷宿)だったそうで。

 

ちなみに、新発田藩の関所は、現在の新発田市山内地区にあった模様。

 

 

阿賀町行地の付近から綱木~赤谷~新発田までは、現在の「県道14号線(新発田津川線)」と、ほぼ同じ道を辿ります。

 

県道14号線から二十五丁(約2.7km)山に分け入った場所は、どんな感じだろうと地図を眺め、距離的に分かり易い例を示すと、要害山の麓に広がる「内の倉ダム」の奥の端あたりになるんですよね。

車で移動してる感覚だと、物凄い近い気がします。

そうすると、要害山を越えた、現在の「内の倉ダム」の端あたりか、反対側の、「真木山~金鉢山~無沢山」で囲まれる付近のいずれかに『おこっへの窟』あったのだろうと推測出来ますね。

 

また、「おこっへ(おこっぺ)」が、アイヌ語の「オウコッペ」だとすると、「川尻の合流した所」という意味らしいので、地図で山からの川の流れが合流してる場所を、探せばいいのかと。

 

さーて、人が三十人も住める広さの窟は何処にあるか?

 

そこから深さ五十間(補足:約55m)進んで、人が六、七十人も住める窟があって、さらに奥の穴に続く口に、「鉄の格子」がある場所とは?


地図を眺めてるだけで、ワクワクしてきます・・・。

 


横道に逸れますが、洞窟の奥の「鉄の格子」という記述で、真っ先に思いついたのが、高橋克彦先生の伝奇小説「総門谷R」シリーズ。

 

岩手県にある早池峰山の地底にある「総門谷」から、京の都までを繋ぐ通路を、地底の洞窟を繋いで作るという描写がありまして。

地底の洞窟を繋ぐ通路が、新発田の赤谷にもあったのかも?とか思ったり。

 

今度、新発田図書館から資料借りてきて再確認しますが、赤谷付近のとある山(どの山か忘れた)には、「天狗伝説」が伝わる山もあるみたいです。

 

さあ、いろいろと面白くなってきましたな(笑)。

 

 

ついでに、ネット界隈では噂になってる、怪異ポイント「黒い森」の件も絡めますか。

上記写真は、阿賀町綱木地区から日本海方面へ、遠方から望むものです(何が言いたいか、分かる人居るかな)。

 

別途、「県道14号線(新発田津川線)」から分岐して、中ノ沢渓谷森林公園に向かう「県道513号(中ノ沢内川線)」付近も今度、ふらり散策してみようかと思ってます。

 

中ノ沢渓谷森林公園ホームページへようこそ!

 

ホームページ内の記述、「中ノ沢集落の奥4Kmの西砥沢と言う所に鉱山があり、明治の終わりより大正の初期にかけ金と銅を産出しました。」というのは、非常に興味がわきますね。

 

これ、昭和37年(1962年)まで金・銀等が採掘されていたという、「三川鉱山(大谷金山)」と同じなのかなあ。

時間のあるとき、確認してみましょう。


<参考文献1>

「世事百談(全4巻)」の原本PDFは、「富山大学学術情報リポジトリ」からダウンロード出来ました。

山崎美成(やまざきよししげ)
世事百談 - 富山大学学術情報リポジトリ

 

<参考文献2>

新発田郷土誌・第一号 [新発田図書館収蔵]
1962年/昭和36年3月30日発行
編集・発行:新発田市史編纂委員会

◎46ページ
徒遊譚-世臣譜分註-/執筆:野口幸司

 

ちなみに「世臣譜(全十九巻)」は、新発田藩家老・溝口長裕が執筆、寛政四年五月(1792)に脱稿したものだとか。

溝口秀勝が高浜の城に入った天正九年(1581)より、寛政四年(1792)春までの、二百十二年間の諸家の事跡を記しているそうな。

 

◎52ページ
(赤谷奇題)『おこつへ』の窟/執筆:鬼木生

 

・1町(丁)は109.09091メートル
・1間は、約1.818 1818メートル

・「戸倉村」は、旧・中蒲原郡村松町(現・五泉市)の付近だと思われる。